2013
05.29

ラッファエッロ (Raffaello)

東京に 「ラッファエッロ展」 が来ていますね。

   130529 (3)

《 大公の聖母 》 1505-6年 油彩


若かりし頃です。
始めてイタリアへ連れて行ってもらったその10ヶ月後に
寒い寒い2月のフィレンツェに一人で行き、その時は一年イタリアにいました。

イタリア語ができないと不便なので、語学学校に入りました。

当時、学生証を見せると、ほとんど (たぶん全部) の美術館や博物館は無料、
顔パスでした。

美術館や博物館などは、ワタシのトイレでした。
街を歩いていて、トイレ探しは結構難しいところですから。
学生証を見せて、飛び込むわけです。

パラティーナ美術館に、この絵はありました。
この美術館は、まあ、ピッティ宮殿の長い廊下、厳か豪華な廊下ですね。

絵画は、窓からの自然の光の方向に少し斜めに掛けられ
静かに佇んでいる感じでした。
観光客はいつもほとんどいなくて、
宮殿の廊下をゆっくり、絵画を鑑賞しながら歩むわけです。

《 大公の聖母 》 に近づき、普段からボーなワタシは、
こういう時は特に何にも考えていないので、ボワ~もいいとこなんですが。

なんだか絵の下の方、イエスちゃん(!)の足元あたりからマリアママの手のあたりに
金色の渦巻きが見えるのです。 渦巻きは、中心からぐるぐると動いていたよ。

驚きもなく、ただそういう風に見ていただけです。

後で思ったのは、金色の渦巻きが見えるはずはないので、
昔から ”燻し銀のような” と言う表現があるから、
ああ、良いものって、こういうふうに感じるのねということでした。
銀じゃなく、燻し金でしたけれどね。

ダ・ビンチもミケランジェロも、す~ばらしいけれど、
ラッファエッロさん、好きなんですよ。

トイレ帰りにラッファエッロ。
ちょろっと好きな絵を見ては、また下宿に帰ったものです。


だから、見たいのよ。 
どうして、どうして、どうして、大阪に来てくれないの?!!
今年は、ダ・ビンチ展も、ミケランジェロ展もあるのに、
大阪には来ない。 プンプン。



   130529 (2)


怒っていたら、東京のラッファエッロ展に行ってきましたと
おみやげ頂きました。
クリアファイルです。

最近知ったのですが、こういうクリアファイルは日本ならではのもので、
イタリアにはないのだそうですね。

日本からのお土産にとても喜ばれるそうです。
へぇ~ですが、そうかもしれませんね、
こういうの喜ぶのも、イタリア在住の日本人かもしれません。

イタリアのサランラップの質の悪さもしばしば話に上ります。
日本のサランラップは最高だと。
サランラップも又、お土産にいいみたいです。
しかしこれも、
イタリアの主婦には、サランラップは必要ないのかもしれません。
♪ チン ♪ なんて使わないようだから。


ラッファエッロからトイレ、サランラップと
またまた取り留めないお話でした。





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2011
08.04

におい@太陽の高速道路

太陽の高速道路 (L'Autostrada del Sole) は、
ミラノ ~ ナポリ 間 (ボローニャ、フィレンツェ、ローマ経由) の
イタリア最長の高速道路です。
かのムッソリーニがつくった、ほとんど直線の、世界初の高速道路です。

福原先生運転のレンタカーで、友人と二人、ミラノからフィレンツェまで、
ご一緒させて頂いたことがあります。


110804.jpg


当時の先生曰く、イタリアは、飲酒運転 OK、最低制限速度はあっても、
最高制限速度は無いんだよ。 (ホントウ???)


センセイ、飛ばす飛ばす! 他の車も飛ばす飛ばす。
130、140 ・・  200 ~ !!

速すぎる~、煽られたらダメ~、恐~い、
後ろで私たち二人は、ギャーギャー、騒ぎたてました~。
スリル満点、面白さ半分、恐さ半分。

200kをはるかに越えた時、きな臭いにおいがしてきて ・・
タイヤ焦げてるやん。
大丈夫ですよ、楽しいですね。 (冷静)

  ( はい、確かに。 楽しかった。 私まだ生きてます。)

タイヤの焦げたにおいがした時、観念したのです。
これで事故になったら、即死だろう。 まあ、しゃあないか。
私が死んで、悲しむ人はいても、路頭に迷う人はいないしな、と。

悟って!!からは、肩の力が妙に抜けて、
追い越せ~なんてヤジってました。


イタリアで先生は一度、バイクに乗って、颯爽と現れたことがあります。
生クリームをいっぱいのせてもらったジェラート三段重ねの
歩き食いをしている先生同様、
この時の先生も、本当に嬉しそうで、少年のようでした。
じゃあ、と言ったら、もういなかった。


スピード狂の先生にまつわる、きな臭いお話、おしまい!


・・・・・・・・・・・

”スピードをだすのが美徳 ” のイタリアは、現在、
最高制限速度 120km/h 。 (2006年までは、130k 。)
140k くらいで皆とばし、速い車だと180k 。

「 フェッラーリ 458 が、高速道路で 329km/h で爆走 」
今年に入ってからの イタリア RAI (NHKのようなもの) ニュースです。
うらやましい、って誰かさん言ってました。





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2011
08.02

魔法のかおり

香りの高い、美味しい、懐かしい
エスプレッソ・コーヒー (caffe' espresso) を飲んで、ローマへワープ。


いつの場合も、エスプレッソのにおいがすると、ふわ~とイタリアが浮かびます。
自分でもエスプレッソをいれますが、ふふふっ、ニタニタって感じです。

今日、友人が立ててくれたエスプレッソは、
特に懐かしいタッツァ・ドーロ (TAZZA D'ORO) の豆だったんです。

TAZZA D'ORO は、ローマのパンテオン近くにあって、
いつも地元の人々で賑わう超人気バールです。
コーヒー通の別の友人が、ここのカップッチーノは
今まで飲んだ中で一番おいしいと言ってました。




tazzadoro.jpg  tazzadoro (2)

 ( TAZZA D'ORO のマークです。 タッツァ・ドーロの意味は、金の茶碗。)



そして、タッツァ・ドーロと言えば、
三十数年前に始めてイタリアへ行ったときに、大変お世話になったNHK の福原先生。

福原先生は、日本からローマに到着するとすぐ、
ホテルに荷物を預けて、3つの事を必ずなさいました。

バチカンへお参り ~ なじみの食堂でバジリコのスパゲッティ
~ タッツァ・ドーロでエスプレッソ、順番はいつも同じ。 


私がイタリアのどこかをウロウロしているときに、
何度か先生はお仕事でイタリアに来られて、
その都度、ローマのダ・ビンチ空港にお迎えに行きました。

3つの儀式には私も参加です。
バチカン参りの儀式は早いんです。 こんにちは、くらいです。

2番目へ。
先生行きつけの食堂のおばちゃんが、
今日おいしいスパゲッティはこっちだ、これを食べなさいと言っても、
先生は、断固ノー! バジリコ! でした。
おばちゃん、腰に手をあてて仁王立ちして、頑固なんだから~と。
これも儀式のようなもので、お二人は大の仲良しでした。

3番目のタッツァ・ドーロでは、必ずエスプレッソを注文し、
イタリア人のように、お砂糖を3杯ほどいれて、くっと飲んで、さっと出る。
もちろん立ち飲みです。

本当に美味しいし、香りがいいし、
古くからの、いかにもコーヒー職人さんのバールなんです。
ここの、香り、味、雰囲気が、私のコーヒーの原点です。

エスプレッソの香りがすると、イタリアを、ローマを、
そして、福原先生を思いだします。

エスプレッソは、イタリアへワープさせてくれる、魔法の一杯です。
”小さな金のお茶碗 ” TAZZA D'ORO ですからね。





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2010
09.25

コンクール

昨今、国際コンクールが話題に上ることが多くなってきています。

ショパン・コンクールやチャイコフスキー・コンクールなど、
また、昨年、大きな話題になったヴァン・クライバーン・コンクールについては、
まだ耳新しいニュースです。

コンクール参加者としてではなく、
関係者の片隅にいた滞在一ヶ月半の体験は、とてつもないものでした。

周りには、各国からの参加者、審査員、報道関係の方々、
人がいっぱいいて、日に日に増えてきて、
エネルギッシュに人間模様が繰り広げられていきました。

3人の日本の審査員の先生方の周りにも人が押し寄せ、
あっこさんと私は、その間を駆けずり回る毎日でした。

皆さんが、私たち二人にはとても良くしてくださいました。

競争や駆け引きの世界の、緩衝地帯の役目も、我々は果たしていたようでした。


歌う順番も時間も決められてなくて、いつ何が起こるかわからない状況でした。

ナーバスにも泰然自若にもなり得るところでの、自己主張と表現は
火山が爆発するような勢いと、何ものも昇華してしまうかのような音楽の力とで、
第一次予選から聞き応えあるものでした。

しかし長丁場でした。

予選通過者の発表は夜中になることもあり、
コンクールは、1に体力精神力、2に体力精神力だなと思ったものです。

期間は2,3週間だったでしょうか。


参加者のコンディションも様々でした。

既にイタリアに留学している人のなかでも、
政府給費留学生や、苦学生ともいえる人も、
贅沢なアパート ( イタリアはほとんどが集合住宅です ) に住んで、
日本からの大枚の仕送りでレッスン通いしている人も、
あるいはドイツやオーストリアに留学中の人も、
もちろんこのコンクールのために日本からやって来た人も、
コンクールは初めてという人も、ベテランさんも、というふうでした。

参加者人数は、アメリカがトップでした。

この年はアメルカがこのコンクールに多くの寄付をしたから、
優勝はアメリカ人なんだとの風評もたっていました。


皆さんと友達になりました。

食事はスポンサーのような人がいたのでしょうね、最上のイタリア料理を
毎昼、毎夜、ご馳走になっていました。

中川先生からは、女性はエレガントにさえしてたら、何をしても、
どんなわがまま言うてもかまへんで~、なんて言われていました。



              
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2010
09.13

福原信夫先生は何処

いざ旅立ち

出発2日前にパスポートを受けとり、
出かけるキリキリまで荷造りしてたような気がします。


大阪から東京へ。

アエロフロートに乗り込んだら、
まず、NHKの福原信夫先生を探すこと、
機内アナウンスで呼び出してもらいなさいと、中川先生に言われていました。

ロシア語も英語も解らず、結局マイクでは呼び出してもらえず、
出発から帰国までご一緒だったあっこさんと手分けして、
福原先生探しをすることになりました。

福原先生(故)は、NHKのプロデューサーで、
クラシック音楽番組には必ず登場し解説などされていた方です。

たくさんの著書もあり、中川先生、東京芸大の柴田睦睦先生(故)と共に、
ヴェルディー国際声楽コンクールの審査員でした。

あとで知ったのですが、ベームやカラヤンとも親交深く、
マエストロ・カラヤンの誕生パーティーには毎年招待され、
ウイーンに行っているとのことでした。

一方、マエストロ・ベームは日本のおせんべいが好きで、
いつもおみやげに、おせんべいを持っていっておられたそうです。


やっと機内で先生らしき人発見!

「 失礼ですが、福原先生でいらっしゃいますか。」 と
あっこさんと二人、名のりました。

「 福原です。 中川先生からお聞きしています。 じゃあローマで。
  ・・・ あなた方、ファーストクラスなの? 」
 
私たちの格安チケットの座席は、ファーストクラスだったんです。

気がついていませんでした。

エコノーミーが満席で、ファーストにまわされた!!! ようでした。


やっとほっとして、窓から見たソ連国は、広大過ぎる草原と森、
うねうねと曲がる太い川、何時間飛んでも一軒の家も見えません。

雲の影が、この凹凸ある草原をスクリーンに、くっきり映しだされていました。


              

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